報告
2017年06月5日
「シーライツのインターン・久保田奈津が、子どもの権利条約・関西ネットワークが主催する「家庭教育支援法学習会『家庭教育支援法ってなんですか』」に参加しました。
この学習会開催の背景には、今国会で上程されようとしている「家庭教育支援法」は、国際法である「子どもの権利条約」や、個人の尊厳を定めた日本国憲法24条と矛盾する部分があり、憲法改正も見据えた上での法案かと問題視されている、という状況があります。
学習会で学んだことをシェアさせていただきます。
1.法律には、各条項の頭に必ず名宛人が明記される。
つまり、その内容の義務や権利を、誰が実行するのかということがはっきりと書かれている。
2.「子どもの権利条約」では、その主語が「国」になっている。
つまり「国が」子どもが勉強をしたり意見を言ったり、遊んだり休んだりすることを保障する義務がある、ということ。
一方、家庭教育支援法では、その主語が、地方公共団体・保護者・学校や保育園、となっている。
地方公共団体・保護者・学校や保育園が義務を負うということである。
ではその義務を命令する権利を持つのは誰なのか?国である。
またこの法律では、理想とされる教育が立法者(国)によって、2条に定義されている。
本来多様であり、さまざまな立場の人によって問い直され続けるべき教育が一義的に「国」によって定義される。
そして、国が保護者や教育機関に対してそのような「理想の」教育を行う義務を負わせる権利を持つ。
この2つの部分がこの法案の特異性であり、「子どもの権利条約」と矛盾する部分である。
3.では、子どもの権利条約と家庭教育支援法などの法律の位置付けはどうなっているのか。
立憲主義国家の日本では、
憲法〉条約(子どもの権利条約)〉法律(家庭教育支援法)
となっている。
家庭教育支援法と子どもの権利条約が矛盾する場合、子どもの権利条約の方が優先される。
また、現在の憲法では子どもの教育を受ける権利が保障されており、子どもの権利条約との整合性もとれている。
しかし、上記のような問題点をもつ家庭教育支援法案に沿って、将来的に、憲法が改正されるようなことになれば、子どもの権利条約と憲法が矛盾することになってしまう。
4.子どもの権利条約を尊重し、「多様性と子どもの人権を最大限に尊重する」ために、国民全員での話し合いの活性化を促進していかなければならない。
学習会を通して、
「憲法(とその改正案)」「子どもの権利条約」「家庭教育支援法案」が定める内容と、実際の教育現場の実態、伝統的・画一的な家族観・教育観の間にどのような齟齬が生じているか、それを伝えて行くこと、子どもの権利条約のさらなる普及、そして話し合いの場やきっかけを作ることが、私にできることではないかと思いました。
主催者の子どもの権利条約・関西ネットワークさんからの学習会開催報告
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30名以上の来場者を迎えて、大変密度の濃い学習会となりました。
國本依伸弁護士の講演「家庭教育支援法の問題点 子どもの権利の視点から」では、法律家の視点から家庭教育支援法を会場の聴衆と一緒に読み解いていきました。
各条文には「名宛人」がいるということ、名宛人(国、自治体、住民等・・・の「等」の意味も重要)に何が課せられ、求められているか。
課せられること(法的義務)と求められること(努力義務)のちがいの意味、努力義務ではあってもそこには法的根拠(お墨付き=権益)が生まれること、憲法・子どもの権利条約と家庭教育支援法のぶつかり合いなどなど、刺激に富み、目からうろこの60分でした。
伝えられている法案を読む限り、家庭教育支援法が法律としても、かなり無理のある、いびつなものであることが見えてきました。
立案に携わる者もその無理を半ば理解しながら、それゆえになかば強引に成立させようとしている、そんな状況さえ条文の行間から読み取ることができるようでした。
当ネットワークからは林が、「子ども支援の現場からの報告」と題して支援現場のヒアリング結果をレポートしました。
「しんどい」状況にある子ども、親たちが「家庭教育の正しさ」に追い詰められ、より「しんどい」状況になっていくことを予見させる事例を紹介しました。
来場者からも、もっともらしい法案の問題点を具体的な現場の視点から理解することができたと、、、こちらも好評でした。
子どもの権利条約 関西ネットワーク のフェイスブックページ
https://www.facebook.com/kodomokenri2016/
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